資料NO. : 43 |
資料名 : バッシングを許さない |
制作者 : R.M.さん(千葉県連絡会) |
制作日 : 2004年4月20日現在 |
イラクで日本人3人が拘束されていた事件、無事解決の報に接し、喜ばしい限りですが、今度は別の2人が拘束とのニュースがあり、この事件も早期の解決が図られることを切望します。(4/15夜現在) ところで、3人の拘束からこれまでの流れの中で、世間の風向きが急激に変化し、あまりにも見当違いな家族へのバッシングが横行した(あるいは、これからもするかもしれない)ことを、忘れてはならないと思います。 事件発生直後は、立場の違いはあれ「3人の無事救出を祈る」ということで、 大方異論はなかったと思いますが、ここにきて3人の「自己責任」を強調し、被害者や家族を糾弾するような論調が、一般新聞のオピニオンにも現れてきました。 そして、揚げ句の果てには家族に対する悪質ないやがらせの数々(呼んでもいないタクシーがやってきたこともあった)。これはいったい何を示しているのでしょうか。 私が思うに、日本政府・国家の政策にまつろわない者、とりわけ「強い国」へのベクトルに抵抗するものを異端視し、排除してしまおうとする大衆心理が呼び覚まされた結果だと言えるのではないでしょうか。 これは、北朝鮮の拉致問題と対比してみると、一層明確になります。 拉致問題では「家族会」「救う会」の主張が絶対視され、それに少しでも異論を唱えたり、一線を画する動きには激しいバッシングが加えられました。 社民党や『週刊金曜日』が袋叩きに遭ったのは記憶に新しいところです。 背景が違うとはいえ、3人の拘束も日本人「拉致事件」でしょう。なのに、同じ「被害者」に対する見方が天と地ほども違ってくることに関して、このような危険な「大衆心理」の問題は見逃せないと思います。 要するに、国家の政策に反対する者は「非国民」であり、攻撃・排除したい、ただそれだけ。 拉致問題では、被害者家族の主張が「強い国」へのベクトルにかなうものであるから、被害者や家族に同調した。他方、3人は政府の政策にまつろわぬ人々であり、家族も自衛隊撤退による解決を求めたことは「強い国」とは正反対の方向性だから、バッシングの対象になった。おおざっぱに言うなら、そういうことなのでしょう。 もちろん、3人の側に問題はなかったのか、安全への配慮は十分だったのか、ということについては、検証が必要でしょう。 しかし、このバッシングは、そうしたこととは違ったところに本質があると思います。 (「自己責任」とバッシングの問題に関しては、江川紹子さんのページ http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_29.html が、参考になります) この「大衆心理」は恐ろしいものです。「不安な時代」だから、強いもの(国家)にすがろうという心理なのかも知れませんが、明らかに戦争への道を掃き清め、戦争を下支えするものに他なりません。 私たちは署名活動や集会・デモを通して、政府を弾劾するだけでなく、このような「大衆心理」を解きほぐすことにつなげていきたいものです。 |
掲載:2004/06/21